2018/04/13

客観的意識予測(Objective Consciousness Conjecture: oBJe)を発表

客観的意識予想 (Objective Consciousness Conjecture: oBJe)を記した論文をプレプリントとして発表しました。

A conjecture for objectification of the content of consciousness
Daisuke H. Tanaka and Tsutomu Tanabe
(現在、科学哲学系の雑誌へ投稿中)

りんごの「赤らしさ」や手足の傷の「ヒリヒリした痛み」といった意識の内容(contents of consciousness)は主観的なものであり、客観的には扱えないので、科学で意識の内容を直接扱うことは出来ない、と広く信じられています。

しかしこれは本当でしょうか?

本論文は、「意識の内容は、それを生み出す神経基盤についての4つの条件が揃えば客観化できる」ことを論理的に予想しています。そしてその4つの条件は実験的に反証可能であるため、この予想の正しさは実験的に検証することができます。意識の内容は、直接、客観化できる可能性があるのです。

「意識の内容を客観化するなんて無理。だから仕方なく被験者の言動で判断している」
「意識の内容を、被験者の言動や脳活動で推し量る方法論では満足できない。でも科学的アプローチを諦めたくはない」
「意識の内容の検出は、統合情報量Φで代替出来る。客観化なんかしなくてもいい」

「意識の内容」と「科学的アプローチ」を巡る見解は、研究者により様々あると思いますが、意識の内容と物質的基盤の関係を明らかにしたいという熱意は皆同じかとおもいます。本論文が、そんな熱い皆さんのfood for thoughtになったら嬉しく思います。


2017/12/09

嗅覚と味覚のクオリアが似ている

視覚、聴覚、体性感覚それぞれ他のどれとも似ていないユニークなクオリアを持つ似ている。それらに比べ嗅覚と味覚のクオリアはよく似ている。

ここにクオリアの神経基盤に関するヒントが隠されている気がする。嗅覚の神経活動と味覚の神経活動の共通点を見いだし、それらが他のどの感覚の神経活動とも異なればそこに味覚や嗅覚っぽいクオリアを生み出す神経基盤の特徴を見いだすことができるのではないか。

興味深いことに、嗅覚と味覚は他の感覚と異なり、chemoreceptorでchemicalを検出する感覚である。と思ったが、かゆみも同様にchemoreceptorでchemicalを検出した結果だ。が、クオリアは嗅覚や味覚とかなり異なる。stimulus energyやreceptor classがクオリアのモダリティを決めているわけではない。まあ当たり前か。

「私は考える、ゆえにわたしは存在する」には賛同出来ない

デカルト「方法序説」
p47-48
「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」というこの命題において、わたしが真理を語っていると保証するものは、考えるためには存在しなければならないということを、わたしがきわめて明晰に分っているという以外にまったく何もないことを認めたので、次のように判断した。わたしたちがきわめて明晰かつ判明にとらえることは全て真である、これを一般化な規則としてよい、、、、
p54
われわれがきわめて明晰かつ判明に理解することはすべて真であるということ自体、次の理由によって初めて確実となるからである。神があり、存在すること、神が完全な存在者であること、われわれのうちにあるすべては神に由来すること。


→つまりわたしは存在するということの根拠が、「考えるためには存在しなければならない」という「理屈」にあると考えているらしい。そしてその根拠が神の存在。
→つまり僕が考えている根拠である「自明性」とは明らかに異なっている。したがってデカルトの言う「私は考える、ゆえにわたしは存在する」というのは僕にとっては真ではない。僕にとって心底納得できることは「私は考える、ゆえにわたしは存在する」ではなく、「クオリアがあること」であり、根拠は「必然的な自明性」である。理屈は不要。

2016/01/22

心脳問題を扱ったポパーとエックルスの共著「自我と脳(上)」を読んだ

科学哲学者であるカール・ポパーと、神経生理学者であるジョン・エクルズ(エックルス)の共著である「自我と脳」の上巻を読んだ。
 カール・ポパーは「科学理論は反証可能性を持つべきである」という主張をした有名な哲学者。一方のエックルスはばりばりのノーベル賞受賞神経生理学者で、東大の伊藤正男先生の元ボスでもある。そしてこの本の中心テーマが、ズバリ「心脳問題」。心と脳がどういう関係にあるのかを、この二人がどう議論しているのか、大いに興味がわいて読み始めた。
 上巻はポパーが書いたもの。で、いきなりずっこけてしまった。心脳問題では通常、心と脳の2つの存在がどういう関係にあるのかが議論されていて、未だに決着がついていないのだが、彼はここに、我々人間の思考の中にある、芸術世界や科学世界を「第三の世界」とよんで、なんと

「心と脳の他に、この「第3の世界」もあるから、この3つの関係を調べていかないといけない」

と主張して、そのまま上巻が終わってしまった。。

をいをい。。。
 
いやいやこんなんで終わるわけがない!
下巻はいよいよ神経科学界のドン、エックルスの主張!
乞うご期待!

2015/08/24

論文メイキング02: 脳進化研究と細胞移植

2011年、我々は「大脳新皮質の進化機構」の一部の解明に、「細胞移植」という実験的なアプローチで挑戦し、哺乳類・鳥類・爬虫類の共通祖先から哺乳類への進化の過程で、発生期のGABA作動性抑制性神経細胞の移動能力の進化が必要であったことを示唆する以下の論文を発表しました。

Tanaka DH, Oiwa R, Sasaki E and Nakajima K. Changes in cortical interneuron migration contribute to the evolution of the neocortex, Proc. Natl. Acad. Sci. USA 108 (19), 8015-8020 (2011)


Short Slides

研究の着想は2008年頃でした。丁度N研に異動してきたばかりで、これからどんな研究をしたらいいか考えていた頃、オフィスの隣の席のS先生とよくお話する機会に恵まれました。S先生は脳の進化にご興味があり、関連分野についてのものすごい知識と冷静に洞察する姿勢を兼ね備えられており、さらにそれを素人にも丁寧に説明してくれるという、大変オトナな魅力に溢れた方でした。それまで私は進化というものに特に興味があったわけではなかったのですが、心の赴くままにお話を伺っているうちに、改めて考えてみるとなんて不思議な現象なんだろうと、自然に興味が湧いてきました。

 そこで自分のこれまでの興味と進化研究を組み合わせることができないかと考え始めました。私は当時から心脳問題に興味があり、脳の中でも意識の起源であろうと推定されていた「大脳新皮質」に特に興味がありました。またそれまでの自身の研究も「発生期の大脳新皮質のGABA作動性抑制性神経細胞の移動経路」であり、大脳新皮質に関連がありました。そこでこれまでの自身の研究テーマであった「発生期の大脳新皮質のGABA作動性抑制性神経細胞の移動経路」と、新たな「進化」を組み合わせる方向で新たな研究テーマを模索することにしました。ここで「大脳新皮質」という広い興味から一気に自身の得意分野に限定することを決めた理由は、ややscientificな議論から外れますが、当時の雇用が年俸性で不安定であったからです。外部資金を元にした「特任助教」という肩書きで、1年毎に更新される雇用でした。実質的には普通のポスドクとほぼ同じです。ボスからは来年度も雇用が続くかは今年度の成果次第であることを初年度から言い渡されていましたので、雇用を継続してもらうためには初年度から成果につながるようなデータを出す必要がありました。そこで私は「ズーム」と呼ばれるアプローチを採用することにしました。この概念は阪大のM研にいた時に、休憩室で雑談している時に後輩のK君から教えてもらったもので、新しいことを始めるときはこれまでの分野に片足を残したままもう一方の足を新しいところに踏み出すイメージが良い、というようなものでした。この方法だとこれまでの分野での知識や経験がそのまま生かせるためスタートダッシュがつけやすいので、最初から成果が求められるような状況で、しかし新しい分野に展開することをもしてみたい時に最適だと考えました。
 そこで自分のこれまでのテーマに関連する進化研究について文献を検索し始めましたが、すぐにそれほど多くの文献がないことに気づきました。そしてそのほとんどが、ある遺伝子の発現パターンを、マウス以外の動物でも調べて比較して考察する、というアプローチに終始していました。このアプローチは古典的で極めて有効であることに疑問の余地はありません。しかし当時の私にとってはやや静的すぎて退屈に感じられました。もっと動的で興奮できるアプローチはないものか。そんなことを考えていた頃、まさにこれ!というような、その後の私にとって手本となるような下記の論文が発表されました。

Nomura T, Takahashi M, Hara Y and Osumi N. Patterns of neurogenesis and amplitude of Reelin expression are essential for making a mammalian-type cortex. PLoS ONE 3:e1454 (2008) 


彼らはニワトリの胚にマウスでのみ発現している遺伝子を発現させてニワトリをマウス化させるような試みをしていました。N先生のこのお仕事は以前から研究会の発表などでお聞きしていたはずなのですが、当時はあまり進化に興味がなかったため詳しい内容を覚えておらず、論文を拝読して改めて「進化研究もこんなに自由でいいんだ!」と衝撃を受けました。そして自分もこんな感じで研究できないか色々考え、最終的に「ニワトリやスッポン、マーモセット胎仔の細胞を、子宮内の生きているマウス胎仔に移植する」というアプローチに行き着きました。このアプローチは、過去にカメの細胞を培養しているマウスの切片に移植する、という研究報告があり、一方で子宮内の生きているマウス胎仔に細胞を移植する、という技術が報告されていましたので、それらを組み合わせたら面白いのではないか、と考えつきました。また、当時雇用されていた外部資金のプロジェクトにマーモセット関連の研究者もおられたので、同じ外部資金プロジェクト内での共同研究という視点からマーモセットを有効利用することもできると考えました。また遺伝子と異なり細胞の場合は、細胞が死なない限りなんらかの結果が得られる確率が高いため、成果も出しやすいだろうと考えました。また、本研究と並行して進めていた、統合失調症モデルマウスでの研究でも細胞移植というアプローチを採用する予定にしており、方法論における「規模の経済性」を考慮しても効率がいいのではないかと考えました。とはいえ、ややトリッキーなアプローチなためボスに許してもらえるか不安だったのですが、ご相談したら「へーいいんじゃない」と、予想外にあっさりと許可を頂けました。今考えてもこういう研究にこれほどあっさりと理解を示してくださる医学部教授というのはなかなかおられないのではないかと思います。そして早速実験を始めたところ、3ヶ月目にはあっさりと本論文のメインデータが出ました。顕微鏡下で、マウス胎仔の脳内を元気よく走ったり立派に突起を伸ばしているニワトリ細胞の姿を見たときの感動は今でもありありと覚えています。


2015年現在、本論文と似たような研究テーマはほとんどなく、また引用件数もそれほど多くはありません。社会的インパクトという意味ではそれほどなかったのだと思いますが、今でもユニークさは色褪せていない気がしています。ちなみに本論文の成果を発表した国際学会で、大脳皮質発生の分野で著名なアメリカのF先生に内容を聞いてもらったところ「私のアドバイスは、できるだけ早くこのプロジェクトを止めることだ」という衝撃的なコメントを頂きました。私がショックを受けてフリーズしている間に足早に立ち去ってしまったため理由を聞くことができなかったのですが、彼がなぜあれほどアグレッシブであったのか、今でもその真意を掴みかねています。もしかすると本研究に私自身が気づいていない重大な欠陥があるのかとやや不安になる一方で、一定の新しさがある研究をした時はいつでも一定の批判や反対は受けるものだ、と楽観的にポジティブに捉えてもいます。なにはともあれ、最近、脳の進化研究分野が盛り上がってきているので、本論文で採用した異種間脳内細胞移植というアプローチも盛り上がってくれるといいなあと期待しています。

2015/06/01

論文メイキング01: 統合失調症と細胞移植

2011年、私たちは「統合失調症」という神経疾患に対し、「細胞移植」という介入方法が有用である可能性を示唆する、下記の論文を発表しました。


研究の着想は2008年秋頃でした。私は当時から意識感覚の生成メカニズムに興味があり、なんとかしてこれにアプローチできないかと考えていました。しかし当時は「特任助教」という、外部資金を元にした年棒制の職位で雇われていたこともあり、自分の自由な発想で研究を展開することが難しい状況にありました。なんとかして「自分の興味」と「外部資金の提供者が期待する成果」、および「所属する研究室の研究方針」が合致する研究テーマはないか、数カ月間に亘り考えあぐねた結果たどり着いたのが、「統合失調症の認知機能障害に対し、細胞移植という方法でアプローチする」というアイデアでした。
 統合失調症では、私の興味対象である「意識感覚」と深い関係にある「作業記憶」に障害があることが報告されていました。統合失調症の研究を通じて、意識感覚の神経基盤に関する洞察を得られるのではないかという期待がありました。
 また、これまで、脳機能障害に対し細胞を移植することで改善を図る、という研究は数多くありましたが、その対象となる脳機能障害は、変質もしくは死滅した神経細胞の種類やそれらが分布する脳部位の見当がついている、パーキンソン病や癲癇(てんかん)でした。例えばパーキンソン病では黒質のドーパミン作動性神経細胞が減少していることが明らかになっていたことから、それら神経細胞の投射先である線条体にドーパミン作動性神経細胞を直接移植するというアプローチが取られていました。一方、統合失調症は近年まで脳の変質が明確でなかったために、これまで細胞移植というアプローチは採用されていませんでした。統合失調症の治療には当時も今も薬理学的なアプローチが取られていますが、効果に個体差があったり副作用があったりで完全な方法ではありませんので、細胞移植というこれまでとは全く違う、しかし他の脳疾患の研究分野では方法論的な知見が蓄積されている細胞移植というアプローチが取れる可能性を示すことができれば、「統合失調症」という脳疾患およびその研究分野と、方法論的な蓄積の豊富な「細胞移植」というアプローチをリンクさせることになり、成功すれば間違いなく一定のインパクトがあると思いました。
 そして重要なこととして、当該研究立案当時、「統合失調症患者の前頭前皮質ではGABA作動性抑制性神経細胞の機能低下が起こっている」という報告がありました。過去の知見より、前頭前皮質は私の興味対象である「意識感覚」と深い関係にある「作業記憶」に重要であることが示唆されていたため、個人的にも大変興味深い脳部位でした。また、GABA作動性抑制性神経細胞は、学部の頃からずっと私の研究対象だったためそれなりの知識や経験があり、マウス大脳皮質にGABA作動性抑制性神経細胞を移植すると、移植領域のGABA細胞の密度が上がり、興奮性細胞に対するGABA作動性シナプスの密度が上がる、という報告が既にあることも知っていました。これらのことより、統合失調症モデルマウスの前頭前皮質にGABA細胞を移植することでGABA細胞の機能が回復し、作業記憶などの障害で知られる認知機能障害を改善させることができるのではないか、と考えました。さらに当時ちょうど、ヒトES細胞から大脳皮質興奮性細胞の分化誘導に成功したという報告が相次いでいました。当時まだ大脳皮質GABA作動性抑制性神経細胞の分化誘導に成功したという報告はありませんでしたが、非常に競争の激しいホットな領域でしたので数年以内に分化方法が確立されるだろうと想像しました(事実、その数年後にヒトES細胞からの分化に成功したという報告がなされました)。従ってヒトへの応用を考える際に必要な細胞の供給源にも希望が持てると考えていました。
 ところがここまで考えたところで、またしても外部資金により雇われているが故の研究テーマの限定という問題が浮上しました。成体のマウスに移植することは問題になる、ということでした。幼体マウスへの移植であればギリギリ問題にならないと考えられたため、移植を統合失調症様症状を発症する前の幼体に「予防」として行い、その後発症が抑えられるかどうかを調べることなら可能であると考えられました。純粋に科学的な事だけと考えると、予防として細胞移植を行うというのは現実的ではないと思われ、インパクトもだいぶ低下するだろうと容易に想像されましたが、立場を考えると仕方がありませんでした。
 以上のような大雑把なアイデアのもと、まず統合失調症のモデルマウスを決めることにしました。最初は統合失調症のリスクファクターであると考えらえていたDISC1という遺伝子の遺伝子改変マウスを用いようかと考えていました。しかしこのアイデアはこの分野の大御所である某先生に大反対されました。たまたま別の用事でラボに来られていた某先生に、「ちょっと話してみなよ」と言われて軽い気持ちで話し出したらものすごい勢いで「そんなのは全くダメだ。何も分かってない。」と怒られたのをよく覚えています。その場ではあまりの勢いに圧倒されてしまい、また自分自身の勉強が足りないのだろうと考え、何も反論できませんでした。その後冷静になぜ反対されたのかを考えてみましたが、よく分かりませんでした(このことに関して、このプロジェクトが終盤に差し掛かっていた頃に某先生に近いある方にお話したところ「いいアイデアだからやられたくなかったんだよ」と言われ、そんなこともあるのかと唖然としました)。結局その後K先生のお勧めもあり、PCPの投与モデルを用いることにしました。このモデルは発症のプロセスはやや人為的ですが、最終的な表現系は確かに統合失調症様であり、過去の知見も豊富であり業界内でも一定の承認がある方法なので受け入れられやすいだろうという判断がありました。その後このモデルの行動解析の経験と実績が豊富なN先生に共同研究のご相談をし、ありがたいことに快諾していただけました。
 その後、N先生の研究室で研究員をされていたT先生に具体的な計画を相談させていただき、いよいよ実験を始めることになりました。T先生のご尽力がありプロジェクトは想像以上にうまく進み、期待通りPCP誘導性の統合失調症様認知機能障害に移植による予防効果が認められました。しかし残念ながら、一番期待していた「作業記憶」の障害に対する効果は認められませんでした。

2015年現在、未だ統合失調症のモデルマウスに移植でアプローチするという研究は我々以外に発表がありません。インパクトがなかったのか、それとも、淡い期待かもしれませんが、時代を先駆け過ぎているのか。統合失調症ではなく他の神経疾患ではありますが、最近ヒトiPS細胞から誘導した網膜細胞の目への移植が臨床で始まりました。パーキンソン病患者への、iPS細胞から作ったドーパミン細胞の移植も臨床適用の申請が始まっているようです。これからの展開が楽しみな方向性だと思っています。

2015/04/19

医者と科学者の違いの喩え話

医者と科学者の違いの説明として、以前どこかでこのような喩え話を聞いたことがある。
「自分の前を歩いていた人に突然矢が刺さり、倒れて死にそうになっている。その目の前の人の命を助けるために矢を抜いたり止血するのが医者であり、飛んできた矢の素材を調べたり矢がどこから飛んできたのかを調べるのが科学者である」

ちょっと極端な表現ではあるが、違いの指摘に関しては的を得ていて分かり易いと思う。
もちろん医者の中にも矢が飛んできた方向を調べる人もいるだろうし、科学者の中にも容態を安定させるための努力をする人もいるだろう。しかし医者および科学者の多くは喩え話のように反応するだろうし、そのための訓練を受けてきたと思う。

どちらも大切で必要な職業だと思う。
医者がいなければ、目の前で矢が刺さって死にかけている大切な人を救うことができない。
科学者がいなければ、次々に飛んでくる矢に刺さった人を救うばかりで、そもそも矢を飛ばしている誰かを潰すための方法や画期的な新規治療法を探る余裕がない。

もし医者になるべきか、科学者になるべきか迷っている人がいたら、自分はどっちの仕事が好きになれそうか考えてみたらいいと思う。

以上、科学者(のはしくれ)であり医学部教員(のはしくれ)である人の意見でした。

P.S. もしこの喩え話の出元をご存知の方がおられたら是非教えて下さい。

2014/07/07

小さい赤い魚 ≠ 金魚

週末に市ヶ谷フィッシュセンターに行った。

熱帯魚や両生類、爬虫類を販売するお店としても十分楽しめるのだが、一番の特徴はなんといっても釣り堀である。この釣り堀、JR市ヶ谷駅のホームからも見えるので、ご存知の方も多いのではないかと思う。前から一度は行ってみたいと思っていたところなので、どんなところなのかワクワクして、5歳の息子と一緒に行った。

駅のホームから見える広い釣り堀には大型の鯉が放されているようであったが、息子にはまだハードルが高すぎると思い、その釣り堀の手前にあった、全長10mくらいの流れるプールのような水槽で行える、ミニ・フィッシングというのをすることにした。

ミニ・フィッシング用の水槽内には、5cmくらいの赤い魚や黒い魚が大量に群れを成して泳いでいた。赤い魚の見た目は明らかに金魚。金魚なんか釣れるのか!?と半信半疑だったが、お店で竿をエサを借りて糸をたらしてみたら釣りが初めての息子も30分で3匹釣ることができた。そのうちの2匹をつれて帰れるということで袋に入れてもらい、地下鉄に乗って自宅に持って帰った。

翌日、近所のホームセンターで水槽を手に入れ、早速そこに放してやれやれと眺めていて「?、、、あれ?」と気づいた。2匹のうち1匹に、ヒゲがある。「。。。」

ネットで確認。そして判明。
どうやらその1匹は鯉のようである。。
実はその可能性というのは事前に把握してた。お店のHPにミニフィッシング用の水槽には金魚や小さな鯉が放されていると書いてあった。でも小さな鯉というのは黒っぽいやつで、真っ赤なやつは金魚だろうと高をくくっていたのだ。金魚だろうと安心してつれてきた2匹のうち1匹は赤い鯉だったようだ。

赤い鯉。単純に嬉しい。テンション上がる。飼うぞやったー
でも用意した40cm水槽でどこまで飼えるのか。。
そして金魚がその赤鯉に追いかけ回されており、尾びれがやや痛んできている。接触しないように分離飼育した方が良さそうだ。

これから、暴れん坊の赤鯉とノーマル金魚が共生できる道を探っていきたい。

2014/07/06

フェルマーの最終定理

数学系のかっこいいタイトルなので興味があったけどずっと読めていなかった本。

フェルマーの最終定理 (サイモン シン) (新潮文庫)

300年間、多くの数学者がその証明を試みたにもかかわらず証明出来ずにあったフェルマーのある予測がついに証明されるに至った、数学界のノンフェクションドキュメント。

そのプロセスの描写の中で、「数学者」と呼ばれる人々の日々の日常がリアルに映し出されていて、こんな研究生活もあるのだと、自然科学者の端くれである私にも大変刺激的であった。

特に、この証明を成し遂げた人物のとんでもないアプローチ法に仰天した。

自然科学者の研究哲学にも大いに影響しうる、確かに言わずと知れた名著であった。


2014/06/20

銃・病原菌・鉄

数年前にベストセラーになっているのでもう読んでいる人が多いかもですが、この本。

  文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (ジャレド・ダイアモンド) (草思社文庫) 

これは本当に面白い本だった。
「今のこの世界がなぜこうなっているか」という、一見どこから手を付けたらいいのか分からないような問題に、様々な分野の知見を統合することで答えを見いだしていこうという壮大な試み。
答えに近づくために一歩一歩思考を重ねていく。その一歩一歩が全部面白い。 全部はとても書ききれないけど、例えば人類進化の一部に関しては以下のような記載がある。 

ネアンデルタール人は、クロマニョン人が現れる約4万年前まで数十万年に亘りヨーロッパで生息していた。
しかし彼らはクロマニョン人の出現から数千年で完全に姿を消してしてしまった。ネアンデルタール人とクロマニョン人が交配した証拠はほぼない。
クロマニョン人がネアンデルタール人を殺戮した可能性が高い。

ネアンデルタール人の脳は、現代人よりも大きかった。 しかし彼らは原始的な石器しか用いず、その狩猟に命の危険を冒すことの無い獲物のみを食料としていた。
一方、クロマニョン人は脳の大きさ自体はそれほど変わらないにもかかわらず、高度な石器をはじめ、獲物の骨を加工して針や槍を作製し、大型の動物や魚も捕らえて食料としていた。 また彼らが描いた壁画は現代においてもその価値が認められる程に芸術性が高い。

ネアンデルタール人とクロマニョン人の知的能力の差は、脳の大きさの差では説明出来ない。 代わりの説明として、咽頭の変化による発話能力の差や、脳の容量の変化を伴わない神経系の機能的な差が引き金となったことが提唱されているが、今でも何が彼らの知的能力の差を生み出したのかは明らかになっていない。

と、こんな興味深いことがわんさと書いてある。

人類史に興味がある人はもちろん、ない人にもに是非おすすめしたい。

2014/06/01

海外研究留学 助成金 一覧リスト

自分が研究者として海外留学する際に応募を検討した、主に日本の組織の助成一覧。

日本学術振興会 海外特別研究員 
上原記念生命科学財団
ヒューマンフロンティアサイエンスプログラム(HFSP)
持田記念医学薬学振興財団
アステラス病態代謝研究会
かなえ医薬振興財団
神澤医学研究振興財団
村田海外留学奨学会
東洋紡百周年記念 バイオテクノロジー研究財団
中嶋記念国際交流財団
中冨健康科学振興財団
万有生命科学振興国際交流財団
臨床薬理研究振興財団
日本心臓財団・バイエル薬品
鈴木万平糖尿病学国際交流財団
先進医薬研究振興財団
内藤記念科学振興財団
山田科学振興財団
第一三共生命科学研究振興財団
<医師のみ申請可>
ファイザーヘルスリサーチ研究財団
安田記念医学財団

パソコンを整理していたら出てきたものをそのままのせているだけなので網羅は出来てないと思いますが、研究留学を検討している人の参考になれば。

仮説: 「過去」の研究者には周囲からの愛が足りていない

僕ら30代は間違いなく100年後には死ぬ。ここ数十年で科学が進歩しても、まあ変わらないだろう。

人類の進化史とか観ていると、1万年くらい前から農耕やら狩猟やらがでてきて今の世界の形成に直結するような出来事が起こってくるわけだけど、そのスケールからしたら100年なんていうのは1/100である(ちょっと言い回しがエラそうになっているのは直前に読んだ本の著者である村上龍氏の影響?)。その1/100の時間に、100倍の時間スケールの人類史に想いを馳せたり、自分の前の研究対象であった「ほ乳類の起源」なんていうのは3億年も前だから300万倍もの時間スケールの進化史に想いを馳せたりすると、自己愛が増幅する。そういった大きなスケールに想いを馳せると、それと比較して自分が小さいことを実感するとかそんないかにもな感覚は湧いて来ず、逆に消耗品のオス(龍氏の影響受け過ぎ)である自分にもいいものがあることが感じられるのである。

歴史は、自分に価値があることを感じさせてくれる。これはウォーレスとダーウィンの進化論のお陰である。生き残って今ある自分は、その存在自体により自動的に「勝者」、すなわち価値のある存在であることが保証されるのである(ここで「勝者」という単語についている「」は進化論の文脈であることを意味している)。これは別に新しい意見ではないのだが、意外とみんな普段は自覚していないのではないか。でも実はこの思想は全ての人に最低限の尊厳を保証する思想であり、全ての人はこの思想をベースにもっと自信を持ってもよさそうなものである。が、多くの人はそれに頼らない。おそらく大部分の人はそれに頼らなくても自己愛が成立しているのだろう。そう考えると、この最低限の尊厳を保証してくれる思想をまといながら日々生活しているであろう、進化や歴史などの「過去」の学者は、それ無しには自己愛が成立しないほど貧しい状態にあるのかもしれない。

仮説: 「過去」の研究者には、周囲からの愛が足りていない。
(ちなみにほ乳類の起源を少し研究していた私はたびたび自画自賛タイプであると評される。= 1。)

2014/05/31

無趣味のすすめ

タイトルをみて意外性があったので読んでみた本(出版社の狙い通りの鴨?)。


無趣味のすすめ 村上龍 (幻冬舎文庫)


この著者はカンブリア宮殿というTV番組でインタビューアーをしていて、私もいつも楽しませてもらっていた。この本には世間で取りざたされている色々な風潮や流行り言葉、その背景にある凝り固まった考え方などに対する著者の意見が述べられていて、TV番組と同様に楽しくて一気に読み終えてしまった(ちょっと驚くほど文字が大きく、字数が少ないことも関係している)。
特に「効率化」と「ゆとり」、「仕事」と「生活」といった、対立関係で語られることが多い事柄が、ちょっと意識を変えるだけで融合して自然な「形」になりうることを指摘しているところが面白かった。

普通のとは違った、ちょっとひねくれた意見を聞くのが好きな人に、オススメです。

2014/05/19

研究資金への「自由裁量分」の導入

最近ラボの先輩方と話していて思ったこと。

 研究に必要な資金(科研費やその他民間財団からの研究助成など)というのは、「基本的に」事前に研究者がその資金を得るために申請したテーマに沿った実験をするために配られる資金である。 「原則的に」申請したのと別のテーマに関する実験のためにその資金を使うことはできない。 しかし申請したテーマに沿った実験を行っているうちに、誰も想像していなかったような興味深い結果が得られることがある。 そのような結果は時に、申請したテーマとは別の、より重要なテーマの存在を暗示することがある。 その意図せず見つかった重要なテーマに沿った実験を開始するには、「原則的に」新たな研究資金をそのテーマで申請し、受理され、資金が交付されるまで待つ必要がある。

そのような正当な手続きを踏む場合、最短でも1年程度はその重要なテーマを「眠らせる」ことになる。 このような「眠らせ」ざるを得ない時間があることは大変非効率であり、もったいない。 

そこで、もし「すぐに研究を開始すべきテーマというものは一定の割合で、別のテーマの結果から暗示されることがある」という事に一般性があるのであれば、主要な研究資金の15-20%程度を、予め「自由裁量分」として認めてはどうかと思う。予期せず別のテーマの実験から面白いテーマを思いついた研究者は、今手元にある研究資金のうちの自由裁量分を使って研究を開始することができる。もちろんそのような「出会い」が無かった場合は、予定通りその自由裁量分は元々のテーマに沿った実験に使えば良い。

 STAP細胞問題を契機に、今後研究業界において暗黙の了解のようになっていた「グレーゾーン」に、今後次々とメスを入れていくことになると思う。その対象のひとつとして「研究資金とその使用実績の透明化の強化」が挙がることは時間の問題だろう。その際、このような「自由裁量分」を導入することで、現場との齟齬を減らすことができるのではないだろうか。

2014/05/03

科学者という仕事

ちょっと珍しい、「科学者」という職業自体を解説した本。


科学者という仕事―独創性はどのように生まれるか 酒井 邦嘉 (中公新書)


「科学者」という職業の定義はやや曖昧ではあるが、本書で解説しているのはおおよそ大学や(最近何かと話題の)理化学研究所などの公的な機関で主体的に研究活動をすることを生業としている人のこと、だと理解しておくといいだろう。科学とは何か、本来科学者がもっているべき哲学とはどんなものか、優れた研究をするためにはどんなセンスが必要なのか、それを得るためにはどんなプロセスを経てどんな訓練を積んだらいいのか、といったトピックについて、著者の考えに加えアインシュタインやチョムスキーをはじめとする過去の偉人達の言葉をふんだんに引用して解説している。ただこれはおそらく著者自身の性格がにじみ出ているのではないかと想像するが、全体的に大変「真面目」な見解になっている。現実にはこれほど厳格にストイックに科学者をしている人は少数派である気がする。私を含め多くの人はもう少しユルい感じでやっている気がするので、たとえ本書を読んで科学者の世界の敷居が高いように感じでも、実際は、きっと大丈夫なので心配する必要は無いと思う。いずれにしても、いわゆる「科学者」が、一体どんなことを考えてどんな動機でどんなことをしているのか、ということに興味がある人や、これから科学者になることを目指している高校生や大学生には、大変参考になる本だと思う。

2014/04/27

つながる脳

数年前ちょっとしたブームになってたように感じていた社会性に関する脳研究に関する本。


つながる脳 (藤井 直敬) (新潮文庫)


著者は理化学研究所 脳科学研究センターでチームリーダーとして社会性に関する脳研究を進めている。基本的に一般向けの本なのだと思うが、特に序章と第一章で脳科学そのものや脳科学研究者の現状や問題を赤裸々に語っている部分があって、同じ研究者として非常に興味深かった。なかなかここまでさらけ出すことが出来る研究者も少ないと思うし、見習いたいと思った。第2章以降は社会性に挑戦しようとする研究の現状が書かれていて、確かに大事だということは分かったけど、まだ有効な方法論が見つかっていないのかなという印象を持った。いずれにしても序章と第一章だけでも、脳研究者をはじめこの研究分野に興味のある人には是非読んで欲しいと思う。

2014/04/23

生理研研究会「シナプス機能の普遍性と多様性」講演予定

2014年6月5日に平成26年度 生理学研究所 研究会「シナプス機能の普遍性と多様性」で「常染色体劣性遺伝性小頭症の発症機構の解明に向けて」というタイトルで講演しますので興味のある方は是非ご来場下さい。

2014/04/21

食欲の科学

前から読みたいと思っていた、食欲に関する一般向けのブルーバックス。


食欲の科学 食べるだけでは満たされない絶妙で皮肉なしくみ (櫻井 武) (ブルーバックス)


前半では、摂食を栄養学的な面から制御する恒常的機構の分子メカニズム発見の歴史とこれまでの知見を概観できる。ラット同士の体を縫合して血液成分を共有するというマッドな実験内容に興味をそそられた。 後半では、摂食の情動的側面を制御する神経機構の説明がなされ、そこに睡眠・覚醒の神経機構との関連も軽く示され、視床下部および大脳基底核付近でそれぞれを制御する神経細胞達が互いに絡み合っている様子が目に浮かぶようでとても面白かった。と同時に摂食の分野はまだまだ分かっていないことも多そうだ、という印象を受けた。

2014/01/26

親子関係と思春期の子供の非行について


元暴走族総長で建設会社社長の加藤秀視さん。
彼は自身の過去の経験を活かして、社会的に問題があるとされる若者の更正にボランティアで取り組んでいる。
2時間くらいかけてのいくつかの動画を観て色々考えさせられたので書き留めておきたい。
例えば以下の2つ。

暴力くり返す中3少年 親子関係にいったい何が
元暴走族社長 14歳非行少女を救う

これらを観ると、思春期に社会的な問題行動を起こす子供のほとんどが、小さい頃もしくは現在、親との関係に一定の問題があり、それが問題行動の原因となっているようだった。
親との関係の一定の問題、というと極端なものをイメージしてしまうかもしれないが、意外にもそれはどんな家庭でも起こりそうな些細なものであり、例えば「仕事が忙しくて子供と一緒に食事ができなかった」とか、「小さい頃にかわいがりすぎて厳しくすべきところで厳しく出来なかった」といったことがきっかけになっていることも多いようだった。そして多くの場合において根本的に問題にされていたのが、「親がどれだけ真剣に子供と向き合っているか」ということだった。仕事で忙しかったり自分の都合で子供との約束を守らなかったりということを繰り返しているうちに、子供の心は親からは離れていくように思えた。そして親子関係が満たされない子供の中には、その気持ちを主張するために、社会的に問題があるとされる行動に向かうことがあるようだった。

僕自身は、社会的に問題があるとされている思春期の典型的な行動、例えば学校に行かないでフラフラしていたり学校の先生に盾突いたりすることが必ずしも100%悪いとは思わないし、時代が変われば容認されてしまうようなものもあると思っている。それでもやはり自分の子供にそういうことをして欲しくないのは、問題行動を起こしている当事者自身が幸せそうにしていないことにある。そして周りの家族も幸せそうでない。本人達も楽しくないと言っているし、親はその状況を変えたいと思っている。これが問題だと思う。親としては子供に幸せになってほしいし、自分も幸せでありたい。

親になってから、子供とどう接していくべきか、考える機会が増えた。変にテクニカルなことを気にするのではなく、「子供と真剣に向き合うこと」。これ一点を、真剣にやっていきたいと思う。

2014/01/06

僕は君たちに武器を配りたい

先日、伊丹空港で見つけてパラパラと部分読みして即購入した本。


僕は君たちに武器を配りたい (瀧本 哲史)


本のタイトルからただならぬ雰囲気を感じたが、中身はもっとただならぬものであり、しかし同時に妙に納得できることが書かれていた。要は、これから日本は非情で残酷な社会になっていくから、ここに書かれている思想を携えて立ち向かっていきたまえ、という内容。普段仕事のこととかで頭がいっぱいになっていて社会全体の動きを考えた事がなかったので、とても新鮮だった。

その中で特に気になった指摘が「今後自分の専門性を高めて、高いスキルによって仕事をする人は価値を失っていくだろう」という部分。これって僕のような普通の研究者のこと。。。読みながら飛行機の中でしばらくフリーズしていた。

それでもこの本を読み終えた時には、前向きに、頑張っていこうと思えた。