2011/05/30

神経疾患とiPS細胞

ここ2年くらいの間に様々な神経疾患を呈している患者からiPS細胞を作製し、そこから神経細胞を分化させて正常のそれと比較するという研究が盛んに行われてきたのでメモ。尚、ここでは患者由来神経細胞で異常を見いだした報告のみに焦点を絞る。(他にただ神経細胞を作っただけ、というのがあるが、ここでは取り上げない)

まず最初に神経疾患患者由来細胞で異常を発見したのがこの報告。

Nature. 2009 Jan 15;457(7227):277-80. Epub 2008 Dec 21.
Induced pluripotent stem cells from a spinal muscular atrophy patient.
Ebert AD et al., and Svendsen CN.

脊髄性筋萎縮症(spinal muscular atrophy; SMA)患者はSMN1遺伝子に変異があり、生後6ヶ月で運動神経が死に始め、2歳までに死んでしまう。このSMA患者由来細胞から運動神経を分化させたところ、健常人由来細胞より生存率が低く、細胞体が小さかった。ちょっと面白いのは分化後4週目では差がなかったのに6週目で差が出たこと。また原因遺伝子の発現量を上げることが知られているdrugに曝すと異常の一部が改善された。この研究では患者と健常人それぞれ1人づつからiPSを作製し比較検討している。

別の疾患でも同じようなことができましたよ、という報告がこれ。
Nature. 2009 Sep 17;461(7262):402-6. Epub 2009 Aug 19.
Modelling pathogenesis and treatment of familial dysautonomia using patient-specific iPSCs.
Lee G et al., and Studer L.

家族性自律神経失調症(familial dysautonomia; FD)患者の多くはIKBKAP遺伝子に変異があり、感覚神経や自律神経が死んでしまう、末しょう神経系の疾患である。このFD患者由来細胞から神経堤細胞を分化させたところ、神経細胞産生や細胞移動に異常があった。原因遺伝子であるIKBKAPに作用することが知られているdrugに曝すと異常の一部が改善された。この研究では患者3人と健常人1人からiPSを作製し比較検討している。

上記2つの研究では患者および比較のための健常人の人数が1-3人と比較的少数であるため、患者由来細胞で観察された異常が本当に患者特異的なものなのか不明確であった。さらに例えその異常が患者特異的であったとしても、その異常が本当に原因遺伝子とされている遺伝子異常によるものなのかは不明であった。これらに対しても明確な答えを出しつつ、他の疾患でも調べましたという報告がこれ。

Cell. 2010 Nov 12;143(4):527-39.
A model for neural development and treatment of Rett syndrome using human induced pluripotent stem cells.
Marchetto MC et al., and Muotri AR.

Rett symdrome (RTT)患者はMeCP2遺伝子に異常がある。生後6-18ヶ月までは正常だが、その後運動失調や低血圧、てんかんや自閉症的行動などを示す。このRTT患者から神経細胞を分化させたところ、それらを生ずる際の幹細胞における細胞周期や分化後の生存率は正常であった一方で、シナプス数の減少やスパイン密度の減少、細胞体サイズの減少があり、さらにカルシウムイオンのシグナルパターンや電気生理学的な特徴に異常があった。重要なこととして、これらのうちシナプス数の減少に関してはMeCP2の過剰発現によりresqueされた。また患者由来細胞で観察されたシナプス数の減少やスパイン密度の減少、細胞体サイズの減少やカルシウムイオンシグナルの異常は、健常人由来細胞におけるMeCP2のノックダウンにより再現された。さらにこの研究では患者4人と健常人5人からiPSを作製し比較検討している(ただし全ての実験においてこの数が調べられているわけではなさそう)。
いづれにしてもこの研究により神経疾患患者由来細胞の異常と特定の遺伝子機能が初めて因果関係で繋がった。今後原因遺伝子が特定されている疾患由来の細胞を用いた研究では、このような「疾患由来細胞でのGOF」「健常人由来細胞でのLOF」が要求されるようになっていくと思われる。

ここまでの神経疾患は全て、単一の原因遺伝子が提案されており、また症状が新生児など比較的早い時期に現れるものであった。これは主にそういった早期に症状の出る疾患の方が細胞レベルで異常が検出しやすいだろうし、GOFやLOFにより遺伝子レベルの因果関係を調べやすいだろうという見込みがあったからである。しかし今年になって、それらどちらにも当てはまらない神経疾患に挑戦した報告がされた。泣く子もだまる、Fred H. Gageラボからの報告である。

Nature. 2011 May 12;473(7346):221-5. Epub 2011 Apr 13.
Modelling schizophrenia using human induced pluripotent stem cells.
Brennand KJ et al., and Gage FH.

統合失調症(Schizophrenia; SZ)患者の多くは青年期に発症し、幻覚や幻聴、社交性の低下、やる気の低下、認知機能障害など複雑多様な症状を示す。原因遺伝子はあまりはっきり分かっておらず、遺伝子異常と環境によるストレスなど複合的な要素により発症に至ると考えてられている。このSZ患者から神経細胞を分化させたところ(Glu, GABA, TH陽性の混合)、狂犬病ウイルスを用いたトレース法により、神経回路の結合様式に異常があることが分かった。しかしカルシウムイメージングや電気生理では異常が検出されなかったため、機能的には正常であると考えられた。また狂犬病ウイルスを用いて明らかになった結合異常はSZ患者に有効であることが知られている既知の精神薬の一部で改善された。この研究では患者4人と健常人3人からiPSを作製し比較検討している(ただし全ての実験においてこの数が調べられているわけではなさそう)。原因遺伝子が不明であるためRTT患者の時のようなGOFやLOFはされていないが、青年期という比較的遅い時期に発症する疾患についても培養下で異常を検出できたということでちょっと驚いた。現時点で回路の機能的な差が見いだされていないのが残念であるが、条件を色々ふることでそれも見えるようになると期待される。

ということで、神経疾患を呈している患者からiPS細胞を作製し、そこから神経細胞を分化させて正常のそれと比較するという研究を概観した。現状としてはようやく上記4つの疾患モデルができ、またそのうちRettにおいては細胞レベルの異常に対する遺伝子レベルでの因果関係が見い出された、というところである。これら培養モデルが注目されている最大の理由は新規治療薬の検討が容易になるのではないかという見込みがあるからなので、今後はこれまでと同様に「他の疾患でもモデルができましたよ」という報告が続く一方で、「それらモデル系でこれまで知られていなかった新規治療薬が見つかりました」という報告が徐々に現れると想像される。