2014/07/07

小さい赤い魚 ≠ 金魚

週末に市ヶ谷フィッシュセンターに行った。

熱帯魚や両生類、爬虫類を販売するお店としても十分楽しめるのだが、一番の特徴はなんといっても釣り堀である。この釣り堀、JR市ヶ谷駅のホームからも見えるので、ご存知の方も多いのではないかと思う。前から一度は行ってみたいと思っていたところなので、どんなところなのかワクワクして、5歳の息子と一緒に行った。

駅のホームから見える広い釣り堀には大型の鯉が放されているようであったが、息子にはまだハードルが高すぎると思い、その釣り堀の手前にあった、全長10mくらいの流れるプールのような水槽で行える、ミニ・フィッシングというのをすることにした。

ミニ・フィッシング用の水槽内には、5cmくらいの赤い魚や黒い魚が大量に群れを成して泳いでいた。赤い魚の見た目は明らかに金魚。金魚なんか釣れるのか!?と半信半疑だったが、お店で竿をエサを借りて糸をたらしてみたら釣りが初めての息子も30分で3匹釣ることができた。そのうちの2匹をつれて帰れるということで袋に入れてもらい、地下鉄に乗って自宅に持って帰った。

翌日、近所のホームセンターで水槽を手に入れ、早速そこに放してやれやれと眺めていて「?、、、あれ?」と気づいた。2匹のうち1匹に、ヒゲがある。「。。。」

ネットで確認。そして判明。
どうやらその1匹は鯉のようである。。
実はその可能性というのは事前に把握してた。お店のHPにミニフィッシング用の水槽には金魚や小さな鯉が放されていると書いてあった。でも小さな鯉というのは黒っぽいやつで、真っ赤なやつは金魚だろうと高をくくっていたのだ。金魚だろうと安心してつれてきた2匹のうち1匹は赤い鯉だったようだ。

赤い鯉。単純に嬉しい。テンション上がる。飼うぞやったー
でも用意した40cm水槽でどこまで飼えるのか。。
そして金魚がその赤鯉に追いかけ回されており、尾びれがやや痛んできている。接触しないように分離飼育した方が良さそうだ。

これから、暴れん坊の赤鯉とノーマル金魚が共生できる道を探っていきたい。

2014/07/06

フェルマーの最終定理

数学系のかっこいいタイトルなので興味があったけどずっと読めていなかった本。

フェルマーの最終定理 (サイモン シン) (新潮文庫)

300年間、多くの数学者がその証明を試みたにもかかわらず証明出来ずにあったフェルマーのある予測がついに証明されるに至った、数学界のノンフェクションドキュメント。

そのプロセスの描写の中で、「数学者」と呼ばれる人々の日々の日常がリアルに映し出されていて、こんな研究生活もあるのだと、自然科学者の端くれである私にも大変刺激的であった。

特に、この証明を成し遂げた人物のとんでもないアプローチ法に仰天した。

自然科学者の研究哲学にも大いに影響しうる、確かに言わずと知れた名著であった。


2014/06/20

銃・病原菌・鉄

数年前にベストセラーになっているのでもう読んでいる人が多いかもですが、この本。

  文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (ジャレド・ダイアモンド) (草思社文庫) 

これは本当に面白い本だった。
「今のこの世界がなぜこうなっているか」という、一見どこから手を付けたらいいのか分からないような問題に、様々な分野の知見を統合することで答えを見いだしていこうという壮大な試み。
答えに近づくために一歩一歩思考を重ねていく。その一歩一歩が全部面白い。 全部はとても書ききれないけど、例えば人類進化の一部に関しては以下のような記載がある。 

ネアンデルタール人は、クロマニョン人が現れる約4万年前まで数十万年に亘りヨーロッパで生息していた。
しかし彼らはクロマニョン人の出現から数千年で完全に姿を消してしてしまった。ネアンデルタール人とクロマニョン人が交配した証拠はほぼない。
クロマニョン人がネアンデルタール人を殺戮した可能性が高い。

ネアンデルタール人の脳は、現代人よりも大きかった。 しかし彼らは原始的な石器しか用いず、その狩猟に命の危険を冒すことの無い獲物のみを食料としていた。
一方、クロマニョン人は脳の大きさ自体はそれほど変わらないにもかかわらず、高度な石器をはじめ、獲物の骨を加工して針や槍を作製し、大型の動物や魚も捕らえて食料としていた。 また彼らが描いた壁画は現代においてもその価値が認められる程に芸術性が高い。

ネアンデルタール人とクロマニョン人の知的能力の差は、脳の大きさの差では説明出来ない。 代わりの説明として、咽頭の変化による発話能力の差や、脳の容量の変化を伴わない神経系の機能的な差が引き金となったことが提唱されているが、今でも何が彼らの知的能力の差を生み出したのかは明らかになっていない。

と、こんな興味深いことがわんさと書いてある。

人類史に興味がある人はもちろん、ない人にもに是非おすすめしたい。

2014/06/01

海外研究留学 助成金 一覧リスト

自分が研究者として海外留学する際に応募を検討した、主に日本の組織の助成一覧。

日本学術振興会 海外特別研究員 
上原記念生命科学財団
ヒューマンフロンティアサイエンスプログラム(HFSP)
持田記念医学薬学振興財団
アステラス病態代謝研究会
かなえ医薬振興財団
神澤医学研究振興財団
村田海外留学奨学会
東洋紡百周年記念 バイオテクノロジー研究財団
中嶋記念国際交流財団
中冨健康科学振興財団
万有生命科学振興国際交流財団
臨床薬理研究振興財団
日本心臓財団・バイエル薬品
鈴木万平糖尿病学国際交流財団
先進医薬研究振興財団
内藤記念科学振興財団
山田科学振興財団
第一三共生命科学研究振興財団
<医師のみ申請可>
ファイザーヘルスリサーチ研究財団
安田記念医学財団

パソコンを整理していたら出てきたものをそのままのせているだけなので網羅は出来てないと思いますが、研究留学を検討している人の参考になれば。

仮説: 「過去」の研究者には周囲からの愛が足りていない

僕ら30代は間違いなく100年後には死ぬ。ここ数十年で科学が進歩しても、まあ変わらないだろう。

人類の進化史とか観ていると、1万年くらい前から農耕やら狩猟やらがでてきて今の世界の形成に直結するような出来事が起こってくるわけだけど、そのスケールからしたら100年なんていうのは1/100である(ちょっと言い回しがエラそうになっているのは直前に読んだ本の著者である村上龍氏の影響?)。その1/100の時間に、100倍の時間スケールの人類史に想いを馳せたり、自分の前の研究対象であった「ほ乳類の起源」なんていうのは3億年も前だから300万倍もの時間スケールの進化史に想いを馳せたりすると、自己愛が増幅する。そういった大きなスケールに想いを馳せると、それと比較して自分が小さいことを実感するとかそんないかにもな感覚は湧いて来ず、逆に消耗品のオス(龍氏の影響受け過ぎ)である自分にもいいものがあることが感じられるのである。

歴史は、自分に価値があることを感じさせてくれる。これはウォーレスとダーウィンの進化論のお陰である。生き残って今ある自分は、その存在自体により自動的に「勝者」、すなわち価値のある存在であることが保証されるのである(ここで「勝者」という単語についている「」は進化論の文脈であることを意味している)。これは別に新しい意見ではないのだが、意外とみんな普段は自覚していないのではないか。でも実はこの思想は全ての人に最低限の尊厳を保証する思想であり、全ての人はこの思想をベースにもっと自信を持ってもよさそうなものである。が、多くの人はそれに頼らない。おそらく大部分の人はそれに頼らなくても自己愛が成立しているのだろう。そう考えると、この最低限の尊厳を保証してくれる思想をまといながら日々生活しているであろう、進化や歴史などの「過去」の学者は、それ無しには自己愛が成立しないほど貧しい状態にあるのかもしれない。

仮説: 「過去」の研究者には、周囲からの愛が足りていない。
(ちなみにほ乳類の起源を少し研究していた私はたびたび自画自賛タイプであると評される。= 1。)

2014/05/31

無趣味のすすめ

タイトルをみて意外性があったので読んでみた本(出版社の狙い通りの鴨?)。


無趣味のすすめ 村上龍 (幻冬舎文庫)


この著者はカンブリア宮殿というTV番組でインタビューアーをしていて、私もいつも楽しませてもらっていた。この本には世間で取りざたされている色々な風潮や流行り言葉、その背景にある凝り固まった考え方などに対する著者の意見が述べられていて、TV番組と同様に楽しくて一気に読み終えてしまった(ちょっと驚くほど文字が大きく、字数が少ないことも関係している)。
特に「効率化」と「ゆとり」、「仕事」と「生活」といった、対立関係で語られることが多い事柄が、ちょっと意識を変えるだけで融合して自然な「形」になりうることを指摘しているところが面白かった。

普通のとは違った、ちょっとひねくれた意見を聞くのが好きな人に、オススメです。

2014/05/19

研究資金への「自由裁量分」の導入

最近ラボの先輩方と話していて思ったこと。

 研究に必要な資金(科研費やその他民間財団からの研究助成など)というのは、「基本的に」事前に研究者がその資金を得るために申請したテーマに沿った実験をするために配られる資金である。 「原則的に」申請したのと別のテーマに関する実験のためにその資金を使うことはできない。 しかし申請したテーマに沿った実験を行っているうちに、誰も想像していなかったような興味深い結果が得られることがある。 そのような結果は時に、申請したテーマとは別の、より重要なテーマの存在を暗示することがある。 その意図せず見つかった重要なテーマに沿った実験を開始するには、「原則的に」新たな研究資金をそのテーマで申請し、受理され、資金が交付されるまで待つ必要がある。

そのような正当な手続きを踏む場合、最短でも1年程度はその重要なテーマを「眠らせる」ことになる。 このような「眠らせ」ざるを得ない時間があることは大変非効率であり、もったいない。 

そこで、もし「すぐに研究を開始すべきテーマというものは一定の割合で、別のテーマの結果から暗示されることがある」という事に一般性があるのであれば、主要な研究資金の15-20%程度を、予め「自由裁量分」として認めてはどうかと思う。予期せず別のテーマの実験から面白いテーマを思いついた研究者は、今手元にある研究資金のうちの自由裁量分を使って研究を開始することができる。もちろんそのような「出会い」が無かった場合は、予定通りその自由裁量分は元々のテーマに沿った実験に使えば良い。

 STAP細胞問題を契機に、今後研究業界において暗黙の了解のようになっていた「グレーゾーン」に、今後次々とメスを入れていくことになると思う。その対象のひとつとして「研究資金とその使用実績の透明化の強化」が挙がることは時間の問題だろう。その際、このような「自由裁量分」を導入することで、現場との齟齬を減らすことができるのではないだろうか。

2014/05/03

科学者という仕事

ちょっと珍しい、「科学者」という職業自体を解説した本。


科学者という仕事―独創性はどのように生まれるか 酒井 邦嘉 (中公新書)


「科学者」という職業の定義はやや曖昧ではあるが、本書で解説しているのはおおよそ大学や(最近何かと話題の)理化学研究所などの公的な機関で主体的に研究活動をすることを生業としている人のこと、だと理解しておくといいだろう。科学とは何か、本来科学者がもっているべき哲学とはどんなものか、優れた研究をするためにはどんなセンスが必要なのか、それを得るためにはどんなプロセスを経てどんな訓練を積んだらいいのか、といったトピックについて、著者の考えに加えアインシュタインやチョムスキーをはじめとする過去の偉人達の言葉をふんだんに引用して解説している。ただこれはおそらく著者自身の性格がにじみ出ているのではないかと想像するが、全体的に大変「真面目」な見解になっている。現実にはこれほど厳格にストイックに科学者をしている人は少数派である気がする。私を含め多くの人はもう少しユルい感じでやっている気がするので、たとえ本書を読んで科学者の世界の敷居が高いように感じでも、実際は、きっと大丈夫なので心配する必要は無いと思う。いずれにしても、いわゆる「科学者」が、一体どんなことを考えてどんな動機でどんなことをしているのか、ということに興味がある人や、これから科学者になることを目指している高校生や大学生には、大変参考になる本だと思う。

2014/04/27

つながる脳

数年前ちょっとしたブームになってたように感じていた社会性に関する脳研究に関する本。


つながる脳 (藤井 直敬) (新潮文庫)


著者は理化学研究所 脳科学研究センターでチームリーダーとして社会性に関する脳研究を進めている。基本的に一般向けの本なのだと思うが、特に序章と第一章で脳科学そのものや脳科学研究者の現状や問題を赤裸々に語っている部分があって、同じ研究者として非常に興味深かった。なかなかここまでさらけ出すことが出来る研究者も少ないと思うし、見習いたいと思った。第2章以降は社会性に挑戦しようとする研究の現状が書かれていて、確かに大事だということは分かったけど、まだ有効な方法論が見つかっていないのかなという印象を持った。いずれにしても序章と第一章だけでも、脳研究者をはじめこの研究分野に興味のある人には是非読んで欲しいと思う。

2014/04/23

生理研研究会「シナプス機能の普遍性と多様性」講演予定

2014年6月5日に平成26年度 生理学研究所 研究会「シナプス機能の普遍性と多様性」で「常染色体劣性遺伝性小頭症の発症機構の解明に向けて」というタイトルで講演しますので興味のある方は是非ご来場下さい。

2014/04/21

食欲の科学

前から読みたいと思っていた、食欲に関する一般向けのブルーバックス。


食欲の科学 食べるだけでは満たされない絶妙で皮肉なしくみ (櫻井 武) (ブルーバックス)


前半では、摂食を栄養学的な面から制御する恒常的機構の分子メカニズム発見の歴史とこれまでの知見を概観できる。ラット同士の体を縫合して血液成分を共有するというマッドな実験内容に興味をそそられた。 後半では、摂食の情動的側面を制御する神経機構の説明がなされ、そこに睡眠・覚醒の神経機構との関連も軽く示され、視床下部および大脳基底核付近でそれぞれを制御する神経細胞達が互いに絡み合っている様子が目に浮かぶようでとても面白かった。と同時に摂食の分野はまだまだ分かっていないことも多そうだ、という印象を受けた。

2014/01/26

親子関係と思春期の子供の非行について


元暴走族総長で建設会社社長の加藤秀視さん。
彼は自身の過去の経験を活かして、社会的に問題があるとされる若者の更正にボランティアで取り組んでいる。
2時間くらいかけてのいくつかの動画を観て色々考えさせられたので書き留めておきたい。
例えば以下の2つ。

暴力くり返す中3少年 親子関係にいったい何が
元暴走族社長 14歳非行少女を救う

これらを観ると、思春期に社会的な問題行動を起こす子供のほとんどが、小さい頃もしくは現在、親との関係に一定の問題があり、それが問題行動の原因となっているようだった。
親との関係の一定の問題、というと極端なものをイメージしてしまうかもしれないが、意外にもそれはどんな家庭でも起こりそうな些細なものであり、例えば「仕事が忙しくて子供と一緒に食事ができなかった」とか、「小さい頃にかわいがりすぎて厳しくすべきところで厳しく出来なかった」といったことがきっかけになっていることも多いようだった。そして多くの場合において根本的に問題にされていたのが、「親がどれだけ真剣に子供と向き合っているか」ということだった。仕事で忙しかったり自分の都合で子供との約束を守らなかったりということを繰り返しているうちに、子供の心は親からは離れていくように思えた。そして親子関係が満たされない子供の中には、その気持ちを主張するために、社会的に問題があるとされる行動に向かうことがあるようだった。

僕自身は、社会的に問題があるとされている思春期の典型的な行動、例えば学校に行かないでフラフラしていたり学校の先生に盾突いたりすることが必ずしも100%悪いとは思わないし、時代が変われば容認されてしまうようなものもあると思っている。それでもやはり自分の子供にそういうことをして欲しくないのは、問題行動を起こしている当事者自身が幸せそうにしていないことにある。そして周りの家族も幸せそうでない。本人達も楽しくないと言っているし、親はその状況を変えたいと思っている。これが問題だと思う。親としては子供に幸せになってほしいし、自分も幸せでありたい。

親になってから、子供とどう接していくべきか、考える機会が増えた。変にテクニカルなことを気にするのではなく、「子供と真剣に向き合うこと」。これ一点を、真剣にやっていきたいと思う。

2014/01/06

僕は君たちに武器を配りたい

先日、伊丹空港で見つけてパラパラと部分読みして即購入した本。


僕は君たちに武器を配りたい (瀧本 哲史)


本のタイトルからただならぬ雰囲気を感じたが、中身はもっとただならぬものであり、しかし同時に妙に納得できることが書かれていた。要は、これから日本は非情で残酷な社会になっていくから、ここに書かれている思想を携えて立ち向かっていきたまえ、という内容。普段仕事のこととかで頭がいっぱいになっていて社会全体の動きを考えた事がなかったので、とても新鮮だった。

その中で特に気になった指摘が「今後自分の専門性を高めて、高いスキルによって仕事をする人は価値を失っていくだろう」という部分。これって僕のような普通の研究者のこと。。。読みながら飛行機の中でしばらくフリーズしていた。

それでもこの本を読み終えた時には、前向きに、頑張っていこうと思えた。