2015/08/24

論文メイキング02: 脳進化研究と細胞移植

2011年、我々は「大脳新皮質の進化機構」の一部の解明に、「細胞移植」という実験的なアプローチで挑戦し、哺乳類・鳥類・爬虫類の共通祖先から哺乳類への進化の過程で、発生期のGABA作動性抑制性神経細胞の移動能力の進化が必要であったことを示唆する以下の論文を発表しました。

Tanaka DH, Oiwa R, Sasaki E and Nakajima K. Changes in cortical interneuron migration contribute to the evolution of the neocortex, Proc. Natl. Acad. Sci. USA 108 (19), 8015-8020 (2011)


Short Slides

研究の着想は2008年頃でした。丁度N研に異動してきたばかりで、これからどんな研究をしたらいいか考えていた頃、オフィスの隣の席のS先生とよくお話する機会に恵まれました。S先生は脳の進化にご興味があり、関連分野についてのものすごい知識と冷静に洞察する姿勢を兼ね備えられており、さらにそれを素人にも丁寧に説明してくれるという、大変オトナな魅力に溢れた方でした。それまで私は進化というものに特に興味があったわけではなかったのですが、心の赴くままにお話を伺っているうちに、改めて考えてみるとなんて不思議な現象なんだろうと、自然に興味が湧いてきました。

 そこで自分のこれまでの興味と進化研究を組み合わせることができないかと考え始めました。私は当時から心脳問題に興味があり、脳の中でも意識の起源であろうと推定されていた「大脳新皮質」に特に興味がありました。またそれまでの自身の研究も「発生期の大脳新皮質のGABA作動性抑制性神経細胞の移動経路」であり、大脳新皮質に関連がありました。そこでこれまでの自身の研究テーマであった「発生期の大脳新皮質のGABA作動性抑制性神経細胞の移動経路」と、新たな「進化」を組み合わせる方向で新たな研究テーマを模索することにしました。ここで「大脳新皮質」という広い興味から一気に自身の得意分野に限定することを決めた理由は、ややscientificな議論から外れますが、当時の雇用が年俸性で不安定であったからです。外部資金を元にした「特任助教」という肩書きで、1年毎に更新される雇用でした。実質的には普通のポスドクとほぼ同じです。ボスからは来年度も雇用が続くかは今年度の成果次第であることを初年度から言い渡されていましたので、雇用を継続してもらうためには初年度から成果につながるようなデータを出す必要がありました。そこで私は「ズーム」と呼ばれるアプローチを採用することにしました。この概念は阪大のM研にいた時に、休憩室で雑談している時に後輩のK君から教えてもらったもので、新しいことを始めるときはこれまでの分野に片足を残したままもう一方の足を新しいところに踏み出すイメージが良い、というようなものでした。この方法だとこれまでの分野での知識や経験がそのまま生かせるためスタートダッシュがつけやすいので、最初から成果が求められるような状況で、しかし新しい分野に展開することをもしてみたい時に最適だと考えました。
 そこで自分のこれまでのテーマに関連する進化研究について文献を検索し始めましたが、すぐにそれほど多くの文献がないことに気づきました。そしてそのほとんどが、ある遺伝子の発現パターンを、マウス以外の動物でも調べて比較して考察する、というアプローチに終始していました。このアプローチは古典的で極めて有効であることに疑問の余地はありません。しかし当時の私にとってはやや静的すぎて退屈に感じられました。もっと動的で興奮できるアプローチはないものか。そんなことを考えていた頃、まさにこれ!というような、その後の私にとって手本となるような下記の論文が発表されました。

Nomura T, Takahashi M, Hara Y and Osumi N. Patterns of neurogenesis and amplitude of Reelin expression are essential for making a mammalian-type cortex. PLoS ONE 3:e1454 (2008) 


彼らはニワトリの胚にマウスでのみ発現している遺伝子を発現させてニワトリをマウス化させるような試みをしていました。N先生のこのお仕事は以前から研究会の発表などでお聞きしていたはずなのですが、当時はあまり進化に興味がなかったため詳しい内容を覚えておらず、論文を拝読して改めて「進化研究もこんなに自由でいいんだ!」と衝撃を受けました。そして自分もこんな感じで研究できないか色々考え、最終的に「ニワトリやスッポン、マーモセット胎仔の細胞を、子宮内の生きているマウス胎仔に移植する」というアプローチに行き着きました。このアプローチは、過去にカメの細胞を培養しているマウスの切片に移植する、という研究報告があり、一方で子宮内の生きているマウス胎仔に細胞を移植する、という技術が報告されていましたので、それらを組み合わせたら面白いのではないか、と考えつきました。また、当時雇用されていた外部資金のプロジェクトにマーモセット関連の研究者もおられたので、同じ外部資金プロジェクト内での共同研究という視点からマーモセットを有効利用することもできると考えました。また遺伝子と異なり細胞の場合は、細胞が死なない限りなんらかの結果が得られる確率が高いため、成果も出しやすいだろうと考えました。また、本研究と並行して進めていた、統合失調症モデルマウスでの研究でも細胞移植というアプローチを採用する予定にしており、方法論における「規模の経済性」を考慮しても効率がいいのではないかと考えました。とはいえ、ややトリッキーなアプローチなためボスに許してもらえるか不安だったのですが、ご相談したら「へーいいんじゃない」と、予想外にあっさりと許可を頂けました。今考えてもこういう研究にこれほどあっさりと理解を示してくださる医学部教授というのはなかなかおられないのではないかと思います。そして早速実験を始めたところ、3ヶ月目にはあっさりと本論文のメインデータが出ました。顕微鏡下で、マウス胎仔の脳内を元気よく走ったり立派に突起を伸ばしているニワトリ細胞の姿を見たときの感動は今でもありありと覚えています。


2015年現在、本論文と似たような研究テーマはほとんどなく、また引用件数もそれほど多くはありません。社会的インパクトという意味ではそれほどなかったのだと思いますが、今でもユニークさは色褪せていない気がしています。ちなみに本論文の成果を発表した国際学会で、大脳皮質発生の分野で著名なアメリカのF先生に内容を聞いてもらったところ「私のアドバイスは、できるだけ早くこのプロジェクトを止めることだ」という衝撃的なコメントを頂きました。私がショックを受けてフリーズしている間に足早に立ち去ってしまったため理由を聞くことができなかったのですが、彼がなぜあれほどアグレッシブであったのか、今でもその真意を掴みかねています。もしかすると本研究に私自身が気づいていない重大な欠陥があるのかとやや不安になる一方で、一定の新しさがある研究をした時はいつでも一定の批判や反対は受けるものだ、と楽観的にポジティブに捉えてもいます。なにはともあれ、最近、脳の進化研究分野が盛り上がってきているので、本論文で採用した異種間脳内細胞移植というアプローチも盛り上がってくれるといいなあと期待しています。

2015/06/01

論文メイキング01: 統合失調症と細胞移植

2011年、私たちは「統合失調症」という神経疾患に対し、「細胞移植」という介入方法が有用である可能性を示唆する、下記の論文を発表しました。


研究の着想は2008年秋頃でした。私は当時から意識感覚の生成メカニズムに興味があり、なんとかしてこれにアプローチできないかと考えていました。しかし当時は「特任助教」という、外部資金を元にした年棒制の職位で雇われていたこともあり、自分の自由な発想で研究を展開することが難しい状況にありました。なんとかして「自分の興味」と「外部資金の提供者が期待する成果」、および「所属する研究室の研究方針」が合致する研究テーマはないか、数カ月間に亘り考えあぐねた結果たどり着いたのが、「統合失調症の認知機能障害に対し、細胞移植という方法でアプローチする」というアイデアでした。
 統合失調症では、私の興味対象である「意識感覚」と深い関係にある「作業記憶」に障害があることが報告されていました。統合失調症の研究を通じて、意識感覚の神経基盤に関する洞察を得られるのではないかという期待がありました。
 また、これまで、脳機能障害に対し細胞を移植することで改善を図る、という研究は数多くありましたが、その対象となる脳機能障害は、変質もしくは死滅した神経細胞の種類やそれらが分布する脳部位の見当がついている、パーキンソン病や癲癇(てんかん)でした。例えばパーキンソン病では黒質のドーパミン作動性神経細胞が減少していることが明らかになっていたことから、それら神経細胞の投射先である線条体にドーパミン作動性神経細胞を直接移植するというアプローチが取られていました。一方、統合失調症は近年まで脳の変質が明確でなかったために、これまで細胞移植というアプローチは採用されていませんでした。統合失調症の治療には当時も今も薬理学的なアプローチが取られていますが、効果に個体差があったり副作用があったりで完全な方法ではありませんので、細胞移植というこれまでとは全く違う、しかし他の脳疾患の研究分野では方法論的な知見が蓄積されている細胞移植というアプローチが取れる可能性を示すことができれば、「統合失調症」という脳疾患およびその研究分野と、方法論的な蓄積の豊富な「細胞移植」というアプローチをリンクさせることになり、成功すれば間違いなく一定のインパクトがあると思いました。
 そして重要なこととして、当該研究立案当時、「統合失調症患者の前頭前皮質ではGABA作動性抑制性神経細胞の機能低下が起こっている」という報告がありました。過去の知見より、前頭前皮質は私の興味対象である「意識感覚」と深い関係にある「作業記憶」に重要であることが示唆されていたため、個人的にも大変興味深い脳部位でした。また、GABA作動性抑制性神経細胞は、学部の頃からずっと私の研究対象だったためそれなりの知識や経験があり、マウス大脳皮質にGABA作動性抑制性神経細胞を移植すると、移植領域のGABA細胞の密度が上がり、興奮性細胞に対するGABA作動性シナプスの密度が上がる、という報告が既にあることも知っていました。これらのことより、統合失調症モデルマウスの前頭前皮質にGABA細胞を移植することでGABA細胞の機能が回復し、作業記憶などの障害で知られる認知機能障害を改善させることができるのではないか、と考えました。さらに当時ちょうど、ヒトES細胞から大脳皮質興奮性細胞の分化誘導に成功したという報告が相次いでいました。当時まだ大脳皮質GABA作動性抑制性神経細胞の分化誘導に成功したという報告はありませんでしたが、非常に競争の激しいホットな領域でしたので数年以内に分化方法が確立されるだろうと想像しました(事実、その数年後にヒトES細胞からの分化に成功したという報告がなされました)。従ってヒトへの応用を考える際に必要な細胞の供給源にも希望が持てると考えていました。
 ところがここまで考えたところで、またしても外部資金により雇われているが故の研究テーマの限定という問題が浮上しました。成体のマウスに移植することは問題になる、ということでした。幼体マウスへの移植であればギリギリ問題にならないと考えられたため、移植を統合失調症様症状を発症する前の幼体に「予防」として行い、その後発症が抑えられるかどうかを調べることなら可能であると考えられました。純粋に科学的な事だけと考えると、予防として細胞移植を行うというのは現実的ではないと思われ、インパクトもだいぶ低下するだろうと容易に想像されましたが、立場を考えると仕方がありませんでした。
 以上のような大雑把なアイデアのもと、まず統合失調症のモデルマウスを決めることにしました。最初は統合失調症のリスクファクターであると考えらえていたDISC1という遺伝子の遺伝子改変マウスを用いようかと考えていました。しかしこのアイデアはこの分野の大御所である某先生に大反対されました。たまたま別の用事でラボに来られていた某先生に、「ちょっと話してみなよ」と言われて軽い気持ちで話し出したらものすごい勢いで「そんなのは全くダメだ。何も分かってない。」と怒られたのをよく覚えています。その場ではあまりの勢いに圧倒されてしまい、また自分自身の勉強が足りないのだろうと考え、何も反論できませんでした。その後冷静になぜ反対されたのかを考えてみましたが、よく分かりませんでした(このことに関して、このプロジェクトが終盤に差し掛かっていた頃に某先生に近いある方にお話したところ「いいアイデアだからやられたくなかったんだよ」と言われ、そんなこともあるのかと唖然としました)。結局その後K先生のお勧めもあり、PCPの投与モデルを用いることにしました。このモデルは発症のプロセスはやや人為的ですが、最終的な表現系は確かに統合失調症様であり、過去の知見も豊富であり業界内でも一定の承認がある方法なので受け入れられやすいだろうという判断がありました。その後このモデルの行動解析の経験と実績が豊富なN先生に共同研究のご相談をし、ありがたいことに快諾していただけました。
 その後、N先生の研究室で研究員をされていたT先生に具体的な計画を相談させていただき、いよいよ実験を始めることになりました。T先生のご尽力がありプロジェクトは想像以上にうまく進み、期待通りPCP誘導性の統合失調症様認知機能障害に移植による予防効果が認められました。しかし残念ながら、一番期待していた「作業記憶」の障害に対する効果は認められませんでした。

2015年現在、未だ統合失調症のモデルマウスに移植でアプローチするという研究は我々以外に発表がありません。インパクトがなかったのか、それとも、淡い期待かもしれませんが、時代を先駆け過ぎているのか。統合失調症ではなく他の神経疾患ではありますが、最近ヒトiPS細胞から誘導した網膜細胞の目への移植が臨床で始まりました。パーキンソン病患者への、iPS細胞から作ったドーパミン細胞の移植も臨床適用の申請が始まっているようです。これからの展開が楽しみな方向性だと思っています。

2015/04/19

医者と科学者の違いの喩え話

医者と科学者の違いの説明として、以前どこかでこのような喩え話を聞いたことがある。
「自分の前を歩いていた人に突然矢が刺さり、倒れて死にそうになっている。その目の前の人の命を助けるために矢を抜いたり止血するのが医者であり、飛んできた矢の素材を調べたり矢がどこから飛んできたのかを調べるのが科学者である」

ちょっと極端な表現ではあるが、違いの指摘に関しては的を得ていて分かり易いと思う。
もちろん医者の中にも矢が飛んできた方向を調べる人もいるだろうし、科学者の中にも容態を安定させるための努力をする人もいるだろう。しかし医者および科学者の多くは喩え話のように反応するだろうし、そのための訓練を受けてきたと思う。

どちらも大切で必要な職業だと思う。
医者がいなければ、目の前で矢が刺さって死にかけている大切な人を救うことができない。
科学者がいなければ、次々に飛んでくる矢に刺さった人を救うばかりで、そもそも矢を飛ばしている誰かを潰すための方法や画期的な新規治療法を探る余裕がない。

もし医者になるべきか、科学者になるべきか迷っている人がいたら、自分はどっちの仕事が好きになれそうか考えてみたらいいと思う。

以上、科学者(のはしくれ)であり医学部教員(のはしくれ)である人の意見でした。

P.S. もしこの喩え話の出元をご存知の方がおられたら是非教えて下さい。