2015/06/01

論文メイキング01: 統合失調症と細胞移植

2011年、私たちは「統合失調症」という神経疾患に対し、「細胞移植」という介入方法が有用である可能性を示唆する、下記の論文を発表しました。


研究の着想は2008年秋頃でした。私は当時から意識感覚の生成メカニズムに興味があり、なんとかしてこれにアプローチできないかと考えていました。しかし当時は「特任助教」という、外部資金を元にした年棒制の職位で雇われていたこともあり、自分の自由な発想で研究を展開することが難しい状況にありました。なんとかして「自分の興味」と「外部資金の提供者が期待する成果」、および「所属する研究室の研究方針」が合致する研究テーマはないか、数カ月間に亘り考えあぐねた結果たどり着いたのが、「統合失調症の認知機能障害に対し、細胞移植という方法でアプローチする」というアイデアでした。
 統合失調症では、私の興味対象である「意識感覚」と深い関係にある「作業記憶」に障害があることが報告されていました。統合失調症の研究を通じて、意識感覚の神経基盤に関する洞察を得られるのではないかという期待がありました。
 また、これまで、脳機能障害に対し細胞を移植することで改善を図る、という研究は数多くありましたが、その対象となる脳機能障害は、変質もしくは死滅した神経細胞の種類やそれらが分布する脳部位の見当がついている、パーキンソン病や癲癇(てんかん)でした。例えばパーキンソン病では黒質のドーパミン作動性神経細胞が減少していることが明らかになっていたことから、それら神経細胞の投射先である線条体にドーパミン作動性神経細胞を直接移植するというアプローチが取られていました。一方、統合失調症は近年まで脳の変質が明確でなかったために、これまで細胞移植というアプローチは採用されていませんでした。統合失調症の治療には当時も今も薬理学的なアプローチが取られていますが、効果に個体差があったり副作用があったりで完全な方法ではありませんので、細胞移植というこれまでとは全く違う、しかし他の脳疾患の研究分野では方法論的な知見が蓄積されている細胞移植というアプローチが取れる可能性を示すことができれば、「統合失調症」という脳疾患およびその研究分野と、方法論的な蓄積の豊富な「細胞移植」というアプローチをリンクさせることになり、成功すれば間違いなく一定のインパクトがあると思いました。
 そして重要なこととして、当該研究立案当時、「統合失調症患者の前頭前皮質ではGABA作動性抑制性神経細胞の機能低下が起こっている」という報告がありました。過去の知見より、前頭前皮質は私の興味対象である「意識感覚」と深い関係にある「作業記憶」に重要であることが示唆されていたため、個人的にも大変興味深い脳部位でした。また、GABA作動性抑制性神経細胞は、学部の頃からずっと私の研究対象だったためそれなりの知識や経験があり、マウス大脳皮質にGABA作動性抑制性神経細胞を移植すると、移植領域のGABA細胞の密度が上がり、興奮性細胞に対するGABA作動性シナプスの密度が上がる、という報告が既にあることも知っていました。これらのことより、統合失調症モデルマウスの前頭前皮質にGABA細胞を移植することでGABA細胞の機能が回復し、作業記憶などの障害で知られる認知機能障害を改善させることができるのではないか、と考えました。さらに当時ちょうど、ヒトES細胞から大脳皮質興奮性細胞の分化誘導に成功したという報告が相次いでいました。当時まだ大脳皮質GABA作動性抑制性神経細胞の分化誘導に成功したという報告はありませんでしたが、非常に競争の激しいホットな領域でしたので数年以内に分化方法が確立されるだろうと想像しました(事実、その数年後にヒトES細胞からの分化に成功したという報告がなされました)。従ってヒトへの応用を考える際に必要な細胞の供給源にも希望が持てると考えていました。
 ところがここまで考えたところで、またしても外部資金により雇われているが故の研究テーマの限定という問題が浮上しました。成体のマウスに移植することは問題になる、ということでした。幼体マウスへの移植であればギリギリ問題にならないと考えられたため、移植を統合失調症様症状を発症する前の幼体に「予防」として行い、その後発症が抑えられるかどうかを調べることなら可能であると考えられました。純粋に科学的な事だけと考えると、予防として細胞移植を行うというのは現実的ではないと思われ、インパクトもだいぶ低下するだろうと容易に想像されましたが、立場を考えると仕方がありませんでした。
 以上のような大雑把なアイデアのもと、まず統合失調症のモデルマウスを決めることにしました。最初は統合失調症のリスクファクターであると考えらえていたDISC1という遺伝子の遺伝子改変マウスを用いようかと考えていました。しかしこのアイデアはこの分野の大御所である某先生に大反対されました。たまたま別の用事でラボに来られていた某先生に、「ちょっと話してみなよ」と言われて軽い気持ちで話し出したらものすごい勢いで「そんなのは全くダメだ。何も分かってない。」と怒られたのをよく覚えています。その場ではあまりの勢いに圧倒されてしまい、また自分自身の勉強が足りないのだろうと考え、何も反論できませんでした。その後冷静になぜ反対されたのかを考えてみましたが、よく分かりませんでした(このことに関して、このプロジェクトが終盤に差し掛かっていた頃に某先生に近いある方にお話したところ「いいアイデアだからやられたくなかったんだよ」と言われ、そんなこともあるのかと唖然としました)。結局その後K先生のお勧めもあり、PCPの投与モデルを用いることにしました。このモデルは発症のプロセスはやや人為的ですが、最終的な表現系は確かに統合失調症様であり、過去の知見も豊富であり業界内でも一定の承認がある方法なので受け入れられやすいだろうという判断がありました。その後このモデルの行動解析の経験と実績が豊富なN先生に共同研究のご相談をし、ありがたいことに快諾していただけました。
 その後、N先生の研究室で研究員をされていたT先生に具体的な計画を相談させていただき、いよいよ実験を始めることになりました。T先生のご尽力がありプロジェクトは想像以上にうまく進み、期待通りPCP誘導性の統合失調症様認知機能障害に移植による予防効果が認められました。しかし残念ながら、一番期待していた「作業記憶」の障害に対する効果は認められませんでした。

2015年現在、未だ統合失調症のモデルマウスに移植でアプローチするという研究は我々以外に発表がありません。インパクトがなかったのか、それとも、淡い期待かもしれませんが、時代を先駆け過ぎているのか。統合失調症ではなく他の神経疾患ではありますが、最近ヒトiPS細胞から誘導した網膜細胞の目への移植が臨床で始まりました。パーキンソン病患者への、iPS細胞から作ったドーパミン細胞の移植も臨床適用の申請が始まっているようです。これからの展開が楽しみな方向性だと思っています。