2017/12/09

「私は考える、ゆえにわたしは存在する」には賛同出来ない

デカルト「方法序説」
p47-48
「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」というこの命題において、わたしが真理を語っていると保証するものは、考えるためには存在しなければならないということを、わたしがきわめて明晰に分っているという以外にまったく何もないことを認めたので、次のように判断した。わたしたちがきわめて明晰かつ判明にとらえることは全て真である、これを一般化な規則としてよい、、、、
p54
われわれがきわめて明晰かつ判明に理解することはすべて真であるということ自体、次の理由によって初めて確実となるからである。神があり、存在すること、神が完全な存在者であること、われわれのうちにあるすべては神に由来すること。


→つまりわたしは存在するということの根拠が、「考えるためには存在しなければならない」という「理屈」にあると考えているらしい。そしてその根拠が神の存在。
→つまり僕が考えている根拠である「自明性」とは明らかに異なっている。したがってデカルトの言う「私は考える、ゆえにわたしは存在する」というのは僕にとっては真ではない。僕にとって心底納得できることは「私は考える、ゆえにわたしは存在する」ではなく、「クオリアがあること」であり、根拠は「必然的な自明性」である。理屈は不要。

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